京極町について
京極町はこんなところABOUT
自然が育んだ宝
「羊蹄山のふきだし湧水」が湧き出るまち
京極町は、蝦夷富士と称される「羊蹄山」のふもとで、美しく豊かな自然と水に溢れるまちです。
約6万年もの火山活動によって育まれた土壌と山林が水を濾過し、ふきだし公園へと澄みわたった水を送り出します。
公園内から湧き出る水によって「京極のふきだし湧水」として北海道遺産にも選ばれました。この地が育んだ水資源は農業・食品・アウトドアなど多くの分野にわたって活用されております。
こうした京極のまちの良さを活かしながら、道内や道外の方々から「ぜひ行ってみたい」「泊まってみたい」「住んでみたい」と思っていただける京極町を目指しております。
ゆうくん・すいちゃんCHARACTER
京極町が発行する冊子やウェブサイトには、京極町のキャラクター
「ゆうくん・すいちゃん」が使われております。
平成3年に、まちの知名度アップを目的に全国から募集し、延べ117名・154点の応募をいただきました。
観光協会の役員による投票の結果、宮崎県在住の方が創ったデザインが選ばれました。
名前は町民から公募いただき、「覚えやすさ・親しみやすさ・可愛らしさ」
などの理由から、湧水(ゆうすい)を由来とする「ゆうくん・すいちゃん」
と名づけられました。京極町のシンボルとして、長く活躍してもらっています。
京極町の魅力CHARM
京極の名水が織りなす、生活と食
LIFE AND FOOD
羊蹄山に降った雨や雪が数十年の月日をかけて京極の地に湧き出す水。
この水こそが京極町の財産であり、また北海道の宝でもあります。
京極の名水は、きっとあなたを癒すものとなりましょう。
脈絡と続く歴史に触れる、ふるさとのお祭り
HOMETOWN FESTIVAL
京極町では「きょうごくふるさとまつり」や「しゃっこいまつり」といった地域に根付いたお祭りが開催されます。古くからつづく地域の伝統を残すものとして、また親子都市である香川県丸亀市とのつながりなど、京極町の過去との繋がりを伝える役目を果たしております。
全身で感じる羊蹄山の麓で育まれた自然環境
NATURAL ENVIRONMENT
京極町には「ふきだし公園」や「京極温泉」「スリーユーパークキャンプ場」といった施設が人気を博しています。羊蹄山が与える自然の恵みを、体いっぱいに感じられる環境がここにはあります。
日本で最も美しい村連合THE MOST BEAUTIFUL VILLAGES IN JAPAN
京極町は、NPO法人「日本で最も美しい村」連合に参加しております。
この組織は、日本各地の農山漁村の景観や環境・文化を守りつつ、地域資源の持続的な活用を目指す団体です。
各地には京極町をはじめとして、かけがえのない自然環境や文化風習が脈絡と受け継がれています。しかし、過疎化や少子高齢化の社会潮流の中で、その維持が困難となりかねない地域も現れております。
この組織には延べ60以上の自治体が参加しています。北海道から沖縄県に至るまで、どの地域もそれぞれ脈絡と受け継がれた営みを守りつづけてきました。
京極町もまた、美しい村連合の一員として活動理念の遵守と広報活動に携わっております。
ぜひとも京極町をはじめとした各地域にお足を運んでいただけることを祈念しております。
京極町の歴史HISTORY
自主独立を求めた100年
京極町は、明治30年に丸亀藩(現・香川県丸亀市)であった京極高徳により拓かれました。
尻別川の恵みと羊蹄山麓の豊かな土壌によって農業のまちとして発展。
脇方鉱山の興隆と閉山、鉄道の進捗と廃止など、時代の波を乗りこえて平成8年に開拓100年の節目を迎えました。そして現在では日本屈指の「名水の郷」として歩み続けています。
尻別川の
恵みと開拓の始まり
水質ランキング日本一に名を連ねる尻別川は、古くから豊かな川でした。
この地の先住民族アイヌの人たちは、“シリ・ペッ”と呼んだこの川の豊かな漁業資源を糧に暮らしていました。
幕末の探検家、松浦武四郎はアイヌの助けを借りて数度にわたりこの地を探索し、尻別川沿いが豊かなアイヌの人々の漁場であったこと、そして暮らしの舞台であったことを書き残しています。
明治に入って道内各地で本州からの移植者がふえる一方、京極町の本格的な開拓のはじまりは比較的遅く、明治30年に旧讃岐丸亀藩・京極高徳子爵が、倶知安村ワッカタサップ番外地の未開地約800ヘクタールの貸付を許可され、京極農場を開いたことから始まります。
この年、道庁は北海道国有未開地処分法を発布し、それまで認められていなかった大土地所有を認めました。京極農場の開拓が進むと集落としての姿が整い、人々の間にも独立の機運が高まりました。こうして明治43年に「東倶知安村」として倶知安村から独立します。
大正5年にはペーペナイ鉱山が発見され、本格的な開発が始まります。東洋一の鉄鋼鉱山と言われたこの鉱山の発展に伴い人口も急増。
大正9年には人口は1万人を超える隆盛ぶりでした。
社会の変化を乗り越えて
昭和期に入ると試練が訪れます。二度の冷害と水害によって凶作が続き、村は疲弊。
心を痛めた京極家は京極農場を解散し、小作人に農地を開放しました。小作から自作農になることは開拓農民の夢でしたから、京極農場の農民たちは京極家への感謝を込めて、村の名前を京極町に改めたのです。
これに意気の上がった京極の人々の心は、暗い戦争の時代を潜り抜け、一気に開花します。昭和35年にはリーダーズ食品が初の食品加工工場として誕生し、後に北海道有数の工場として成長します。
またニセコスキー工業というスキーメーカーが誕生したのもこの時代です。こうした機運の高まりに後押しされて、昭和37年に待望の町政を施行しました。
しかし昭和40年代になると、高度経済成長が農村から労働力を吸収し、京極町でも過疎化が進みました。追い打ちをかけるように昭和45年に脇方鉱山が閉鎖。1000人単位で人口が町から去ったのです。
男爵いもの産地に転換、水の郷へ
昭和40年代から50年代を通して進んだ過疎化のなかで、町に留まることを選んだ人々は、新しい郷土作りを進めます。
米の減反政策がはじまると、水稲から畑作への転換を成し遂げ、しだいに馬鈴薯、特に男爵いもの名産地として知られるようになりました。
昭和60年にふきだし湧水が日本名水百選に選ばれると、ふきだし公園を訪れる観光客が急増。
今現在、年間80万人を超える観光客が訪れています。
平成8年、京極町は入植100年の記念の年を迎え、その後も平成13年には町木としてミズナラを、平成20年には町花としてひまわりを指定。
さらに「羊蹄のふきだし湧水」が北海道遺産に選定されるなど、名水を核として町づくりを進めております。
社会の変化を乗り越えて
京極町は、香川県にある丸亀市と「親子都市協定」を結んでいます。
丸亀市は四国地方の北東に位置。北は瀬戸内海に面して讃岐平野が広がり、南には讃岐山脈がそびえ立つ四国有数の街です。高さ日本一の石垣を有する名城・丸亀城や、伝統工芸品の丸亀うちわ、そして強いコシのある讃岐うどんで知られています。
この地域は、かつて丸亀藩出身であった京極高徳(きょうごく・たかのり)という、京極町の礎を築いた人物が生まれ治めた地でありました。
平成9年にお互いのまちで物産展へ参加したことで再び縁があり、平成23年に両市町の観光協会が観光交流協定を締結。過去から続く四国と北海道の繋がりを伝えております。
年表CHRONOLOGY
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1895年(明治28年)
河村源太郎、牧場経営をめざして小川卓一を入地させたが成功せず。
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1897年(明治30年)
子爵・京極高徳、児玉忠廣を管理人として開拓に着手。京極農場が開かれる。
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1898年(明治31年)
京極農場、石川県より最初の小作者を募集。16戸入植。
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1899年(明治32年)
京極農場、石川県と富山県より第二回目の入植。
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1900年(明治33年)
石川県、富山県その他より第三回目入植。
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1901年(明治34年)
倶知安第六尋常小学校を設立。京極小学校の前身となる。
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1903年(明治36年)
福岡県の末次孫一、未開拓地の貸付を受ける。
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1905年(明治38年)
倶知安からの道路が開通。現在の国道276号線の原形となる。
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1908年(明治41年)
山梨県より団体入植。207戸が移住。
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1910年(明治43年)
東倶知安村として独立。1,235戸、6,783人。
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1911年(明治44年)
中山道路が開削。群馬県より第一入植。
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1912年(明治45年)
群馬県より第二・第三入植が進む。
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1916年(大正5年)
広安喜太郎がペーペナイ鉱山を発見。翌年には発電所が開通し市街点灯。
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1918年(大正7年)
芳賀藤左ヱ門、日本で初のスキーを製作。
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1920年(大正9年)
人口が初めて一万人を超える。10,582人。
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1923年(大正12年)
一級村制を施行。
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1938年(昭和13年)
京極~喜茂別間で、鉄道開通。
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1938年(昭和13年)
冷害のため、小作農者に向けて京極農場を開放。
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1940年(昭和15年)
村名を「京極村」に改称。
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1945年(昭和20年)
東京より疎開者、川西地区に入植。
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1948年(昭和23年)
南京極小学校が開校。この年に脇方で大火が発生。
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1955年(昭和30年)
初の公営住宅。10戸建設。
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1957年(昭和32年)
町章を制定。
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1962年(昭和37年)
町制を施行。
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1963年(昭和38年)
京極市街に簡易水道が通水。
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1966年(昭和41年)
公民館・町民体育館・青少年会館を竣工。
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1969年(昭和44年)
日鉄鉱業倶知安鉱山が閉山。終山式によって50年の歴史を閉じる。
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1970年(昭和45年)
国鉄脇方線廃業、脇方小中学校が閉校。
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1972年(昭和47年)
双葉ダム定礎式。
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1984年(昭和59年)
公民館落成式。
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1985年(昭和60年)
名水百選に「羊蹄のふきだし湧水」が選定される。
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1986年(昭和61年)
総合体育館落成、下水道供用開始。国鉄胆振線が廃止。
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1990年(平成2年)
ふきだし公園が建設省手づくり郷土賞「暮らしを支える自然の水30選」に選ばれる。
京極町ふれあい交流センター京極温泉オープン。 -
1991年(平成3年)
名水プラザオープン。
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1996年(平成8年)
開基百年記念。「羊蹄のふきだし湧水」が国土省の「水の郷百選」に選ばれる。
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2001年(平成13年)
ミズナラを町木に制定。
ふきだし湧水、北海道遺産第一次選定に選ばれる。 -
2005年(平成17年)
「羊蹄のふきだし湧水」が国交省の「手づくり郷土賞(大賞部門)」に選ばれる。
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2007年(平成19年)
道の駅「名水の郷きょうごく」オープン。
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2008年(平成20年)
ひまわり(向日葵)を町花として制定。
「日本で最も美しい村」連合に加盟。 -
2011年(平成23年)
京極中学校校舎・屋内体育館の改築竣工。
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2013年(平成25年)
京極町水資源保全条例を制定。学校給食センターを新設。
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2014年(平成26年)
北海道電力株式会社より、京極水力発電所1号発電機が運転開始。